第19回PIPIT交流会「遠賀郡の若き起業家たち~伝統工芸・芦屋釜の復興と子どもの在宅介護支援に挑む二人~」(遠賀信用金庫との協働企画)(10/31開催)
今回の交流会は、遠賀信用金庫との協働企画。「遠賀郡の若き起業家たち」と題して、2名を招きましたが、その前に「おんしん」事業紹介がありました。15店舗、257名の職員を抱える遠賀信用金庫の預金残高は、2,184億円と全国260の信用金庫の中で中間に位置しているそうです。しかし、諸々の評価は高く、週刊誌で九州トップと紹介されたこともあるそうです。銀行と信用金庫の違いは、銀行が営利法人であるのに対し、信用金庫は非営利であること。また、横のつながりが強く、広域で情報がまわることも特徴のひとつ。起業家にとって、心強い味方になってくれることがわかりました。
【プレゼンテーション1】****************************
「八木鋳金」芦屋鋳物師(あしやいもじ) 八木孝弘氏
室町時代、茶の湯釜の名器として一世を風靡していた芦屋釜。その芸術性、技術力の評価は高く、国の重要文化財に指定されている釜9個のうち、何と8個を芦屋釜がしめています。しかし、残念なことにその歴史は、江戸時代初期までで途絶えていました。そこで、町は「芦屋釜の里」を作り、その庭園内の復興工房で、芦屋釜再興を目指しました。
大学の芸術学部を卒業した後、運送業界にいた八木孝弘氏。その工房で、師となる「鋳物師(いもじ)」との出会いが運命を変え、固い決意へ導くことになりました。途絶えた技術を手探りで学びつづける日々に、挫折は一度や二度ではなかったと言います。しかし、20年を経た今「芦屋釜の歴史と伝統に恥じない作品を自分が作る。自分が出来なければ、次代に託す。再び途絶えさせるようなことは絶対にしない。」との境地に至り、芦屋釜の作品世界を広げています。
紹介の映像では、芦屋という土地柄や歴史、釡作りの複雑な工程や芸術性の高さを改めて知ることができ、参加者からは感嘆の声があがりました。「真形~しんなり~」と呼ばれる芦屋釜独特の造形は、エレガントの極み。施された装飾には、研ぎ澄まされた感性が光ります。既に裏千家・表千家へと作品を提供し、寺院や美術館、作品展などで復興「芦屋釜」を広げている八木氏が、いかに芦屋釜を愛し、心血を注いでいるか理解ができました。
「自分はよそ者で新参者。けれど町は『どんなに失敗したってかまわない。最高の作品を』と言い続けてくれた。地域の人、茶の湯を愛する人に支えられて、ここまできた。その恩は必ず返していく」。650年の空白期間を経て、平成に甦った「芦屋鋳物師」。その低く太い声には、芦屋釜を背負っていく覚悟と底力が感じられます。八木氏が鋳物師になったのは偶然ではなく、必然。芦屋釜が呼び寄せたのかもしれません。
目下の目標は、薄くて繊細なため、成型まで成功率3割という数字を5割に上げること。そして、オーダーメイド一辺倒から、レディメイドや小物も製造していくこと。また、八女茶や高取焼などと共に福岡の茶の湯文化を高め、深めていくこと...。八木氏は、40代半ば、瞳の奥の炎はまだまだ温度を上げているようでした。
【プレゼンテーション2】****************************
●松丸 実奈氏 (こどもデイサービス にこり代表)
2年前に合同会社三本松をつくり、小児専門の訪問看護ステーション、デイサービス、相談支援事業所、ヘルパーステーション、と設立してきた松丸氏。NPO法人「にこり」の代表理事でもあります。「ただの主婦なんですけどー」と気さくな笑顔に、そのスピード感、バイタリティは一体どこから来るのか。参加者は思わず身を乗り出さずにはいられません。
直接のきっかけは友人のお子さんのこと。重い病気を抱えて誕生し、退院の見通しはたったものの、その後の治療を続けながらの生活には不安がいっぱい。しかし、社会機能として、そんな子どもや家族を支えてくれる場がない...どうにかしなければ!と松丸氏の奔走が始まりました。ナースとして、NICU(新生児集中治療室)で働いた経験が活きてきます。
ここ福岡県は、公害などの歴史背景からか、NICUは比較的充実している地域とのこと。しかし、技術的にも人材的にも厚いケアが受けられるのは病院での話。訪問看護というシステムはあるものの、大人や高齢者向けがほとんどでした。そこで、まずは小児専門の訪問看護ステーション「にこり」を立ち上げることにしました。ネーミングは、小学生。ひらがなで親しみやすく、前向きな想像が広がるその言葉で、デイサービス、相談事業と発展していきます。
実は、こうした展開の前には、合同会社としての約1年があったそうです。その期間にしたことは、仲間&信頼づくり。周りから、その仲間を増やしていく姿が、漫画「ワンピース」に似ていると言われるそうですが、「にこり、という船で航海に出るしかなかった。振り返らず、ひたすら走り続けた」。交流会に参加しているお揃いのシャツをきた若い同志に、松丸氏が視線を送ります。
活動を紹介する映像には、海に浮かぶ気管切開した子どもとそれを支えるスタッフが映っていました。重篤な障害があっても、普通の子と同じように、波や風を感じて、心豊かに成長してほしい、そんな家族の願いが確かにかなえられていました。その温かな眼差しは、医療従事者と家族の両方の眼差し。松丸氏だからこそ実現できた、真のニーズに応えるソーシャルビジネスだと感じました。
「事業計画やマーケティングとか、組織とか、考えないんです」。マスコミや先輩起業家にも支えられ、とにかく走り続ける松丸氏。新しい構想も、行政を巻き込んで形になりつつあるとか。こんな人の、この行動力が社会の進化につながっていくのだと改めて感心させられました。